2007/09
宇田川玄真と宇田川榕菴君川 治


 
ここで述べた宇田川家3代も地元津山に住んだことなく、藩主のお供で津山に行ったことがある程度である。鎖国下の蘭学は幕府の監視の眼があり、幕府のお膝元の江戸でしか研究ができなかった。その結果、蘭学医たちは各藩の侍医を務めながらも江戸に住んで、お互いに交流ができ、蘭学・洋学の発展には良い環境が作られたといえよう。
 江戸の蘭学者を評価する物指しとして著作、翻訳書、弟子の育成など調べ、杉田玄白、緒方洪庵、華岡青洲、伊東玄朴を取上げてきたが、宇田川玄真と宇田川榕菴、坪井信道も注目すべき人物である。
 津山藩医・宇田川榕菴は、我が国近代化学の先覚者と云われている。その著作「舎密開宗」は、イギリスの化学者ウイリアム・ヘンリーの化学書がドイツ語に翻訳され、更にオランダ語に翻訳されたものを基にしている。しかし、単なる翻訳ものでなく近代化学の父ラボアジエの化学書も引用し、自ら実験を加えた著作と云われている。現在化学用語として使用されている酸素・窒素・水素など元素名や酸化・還元・中和などの反応用語も、榕菴の翻訳名だという。
 宇田川榕菴は医者であることから本草学を研究し、シーボルトとも交流があり、「菩多尼訶経」「理学入門 植学啓原」を出版して西洋植物学を紹介している。
 下の表を見てわかるとおり、榕菴の父、宇田川玄真は名だたる蘭学者の育ての親である。伊勢松坂の出身で桂川甫周や大槻玄沢に蘭学を学び、その優秀さを買われて杉田玄白の養子になった。しかし真面目な玄白の手に余る素行で離縁され、宇田川玄随の養子となって本領を発揮した大物であった。
 JR津山駅の北側に旧出雲街道があり昔の面影を留めている。その一角に、津山洋学資料館がある。門を入ると宇田川家三代、玄随・玄真・榕菴の胸像が並んでいる。建物は大正ロマンの妹尾銀行(その後中国銀行)の和洋折衷の建物であり、夫々の業績や翻訳・出版本が展示してある。美作(みまさか)津山藩からどうして洋学者が多く出たのだろうか。津山藩は蘭学を奨励し、藩主松平家をはじめ藩の重役が洋学者を大切にし、物心両面で支えたといわれている。藩医で幕府蕃所調所教授を務めた箕作阮甫やその一族、更にシーボルトに直に医学を学んだ石井宗謙や石坂桑亀、その他郷土の蘭学医も多い。
 洋学資料館の表現を借りると「西洋内科学を日本に紹介した−宇田川玄随」、「蘭学中興の祖−宇田川玄真」、「江戸のマルチ学者−宇田川榕菴」となる。

 シーボルト
        ↓
     ├──  ………
     ├── 伊東玄朴
    └─ ┌ 戸塚静海          ┌ 箕作秋坪
宇田川玄随  ├ 箕作阮甫   ┌ 杉田成卿  ├ 大村益次郎
   ↓   ├ 緒方洪庵   ├ 黒川良安   ├ 橋本左内
宇田川玄真 →┼  宇田川榕菴  ├ 川本幸民  ├ 大鳥圭介
        ├ 坪井信道 →┼ 大島高任  ├ 佐野常民
       ├ 杉田成卿  ├ 坪井信良  ├ 長与専斎
       └ 青木周弼  └ 緒方洪庵 →┴ 福沢諭吉


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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